「後ろ向きに検討します」

日曜日にタイヤの履き替えをした。

 自分ではできないので、お店でやってもらった。スタッドレスタイヤの寿命は3年か4年ぐらいです、と入店後さっそく新しいタイヤの購入を勧められる。5月なってからタイヤを履き替えに来る腰の重いやつに、タイヤ購入を即決できるほどの度胸はない。もしかしたらこんなズボラなやつだから、口車に乗せやすいかもと思ったのかもしれない。断るつもりで、ぎこちない笑顔をつくって「検討します」と言ってみる。しかし、それが聞こえたのか聞こえないふりをしているのか、片膝をついたお兄さんは手作りのパンフレットを持参して、聞いてもないスタッドレスタイヤの説明を始めた。そこからオススメのタイヤを長いこと話をされる羽目になった。「後ろ向きに検討します」と言えたらどんなに楽だろうか。

 

 ゴムの伸縮が違う、ブリジストンのタイヤは品質もいいが高価だ、他社のタイヤは水を含ませてるからどうたら.....お兄さんはタイヤを買ってほしい目で私のことを見てくる(ようにみえる)。ドラクエのモンスターのようだ。本当に買い替えが必要なのかは置いておいて、右耳から左耳へ、聞いているようで聞いていない私が遠藤憲一のような強面だったらきっと「検討します」の一言でセールストークを止めれたのかもしれないと、真っすぐな視線から逃れるように地面を凝視しながら考えていた。別にお兄さんと仲間にはなりたくはないので早く「いいえ」のコマンドを選択したい。

 

 私は断るのが苦手で、つい「あなたの話を聞いてます」という態度をとってしまうのがいけない。相手の会話を助長させてしまいそうな相槌だけは上手(と思っている)なのもいけない。そういう時、自分の時間を安売りしているなぁとは心の隅っこで思ってはいる。こういう時はだいたい「断れそうなタイミング」だけを探している。だが、そのタイミングはいつも掴めない。相手に無駄な説明をさせて散々喋らせた挙句、最終的にはぎこちない笑顔で「すみません検討します」の一点張りをしてしまう。断り方が分からない。店にとってよくない客であることは間違いない。

 

 大人になったら、会話やコミュニケーションに「よゆー」が生まれると勝手に思っていた。若い頃から見た余裕さを表すとひらがなで「よゆー」だ。だけど、人との会話は絶望的に進歩をしなかった。それは、いつも話をすることを避けて生きてきているからだ。なるべく人と話さないように動いている。対話が重要な仕事をしているのにも関わらず、必要最低限の会話で済むように、会話を意図的に終わらせてしまっている。タイヤ屋のお兄さんのように、自分から用があって喋ってくれたならご自慢の相槌をしてれば問題ない。けど、無口なおじさんにたくさん喋りかけたい人間はそうはいない。営業トーク、こういう時間のかかる人でもきちんと最後までやり切っててすごく偉いと思ったけれど、「検討します」と連発されていた時、お兄さんはどう思ったのかは考えたくはない。

 

 タイヤ交換が終わり、店を出るときにはどっと疲れてしまっていた。帰りに解放からかアイスを買って帰った。人生で切り抜けなければならない場面は、こんな些細なところにも転がっていると思うと出不精になってしまう。家では嫁と娘のからうける一方的な話をただ聞いていればいいので。そんなこんなで家に帰ってきてから、...にしてもスタッドレスタイヤの寿命短くねえかな、と呟いた。

 

2024年5月21日